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静岡海岸の昔と今

静岡海岸の昔と今

昭和30年代

 昭和30年代の初頭、静岡海岸は広々とした天然の砂礫浜海岸でしたが、昭和33年の狩野川台風、昭和34年の伊勢湾台風による天然海岸の欠壊を契機として、護岸の整備がはじまりました。
また、安倍川の河道では、道路や橋をつくるため、たくさんの砂や礫をとっていました。

  • 昭和30年代の静岡海岸

昭和40年代

 砂利採取の影響で、砂浜をつくる砂や礫の安倍川からの供給が少なくなり、静岡海岸では、この頃から砂浜がどんどん小さくなっていきました。侵食の進行は激しく、護岸整備を進めることが優先課題でした。

  • 昭和40年代の静岡海岸

昭和50年代

 海岸護岸が全線で整備されましたが、侵食の進行は予想以上に激しく、被災が頻発しました。護岸の復旧や消波工の整備が進みました。
また、海岸の侵食は、清水海岸増・蛇塚地先にも及ぶようになりました。
50年代半ばからは、来襲する波浪を低減し背後地への越波を防ぐ離岸堤の整備が始まりました。

  • 昭和52年、高松の護岸が被災
    ▲昭和52年、高松の護岸が被災
  • 昭和58年、蛇塚の護岸が被災
    ▲昭和58年、蛇塚の護岸が被災

昭和60年代~平成初期

 昭和43年以降、河道からの砂利採取が規制されたため、安倍川から静岡海岸に砂や礫が供給されるようになり、安倍川に近い海岸から砂浜の回復がみられるようになりました。
一方、侵食域は清水三保方面へと拡大し、羽衣の松の消失が危惧されるまでになりました。

  • 平成元年、西島地先
    ▲平成元年、西島地先
  • 平成4年、折戸高波で削り取られた砂浜
    ▲平成4年、折戸
    高波で削り取られた砂浜